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人権の発達
プリントは12ページから14ページ。
プリントの補足
自由権は大別すると,次の3つの自由に分類できる。
- 精神の自由 − 精神活動の保障
- 人身の自由 − 身体の不当な拘束を排除
- 経済の自由 − 経済活動の自由を保障
問題1
次の歴史的文書を古い順に並べよ。
- 世界人権宣言
- アメリカ合衆国憲法
- ワイマール憲法
- 権利章典
- マグナ・カルタ
5(1215年)→ 4(1689年)→ 2(1788年)→ 3(1919年)→ 1(1948年)
解き方としては「市民革命の前か後ろか,現代のものか」で分ける。市民革命の順番を覚えていれば,3番目までは決まる。
問題2
人権は第二次大戦後、国際的な保障が国連などによってすすめられているが、そのために出された次の条約などのうち誤っているものを選べ。
- 世界人権宣言
- 国際人権規約
- 児童の権利に関する条約
- 国連憲章
- 女子差別撤廃条約
答えは,4。国連憲章は国際連合を設立するための,いわば憲法にあたるもので,特別に人権保障に取り組んでいるものではない。
問題3
基本的人権は、古くはキリスト教のなかにあった自然法から生まれた自然権から発展したが、
- 国家からの自由を求め、国家の干渉を拒否する人権
- すべての人々の自由や権利の保障のために政治に参加する人権
- 「人間に値する生活」を保証するために国家が積極的に施策するべきである
という3つの順序で拡大してきた。1から3にあてはまる人権の種類を答えよ。
授業をちゃんと聴いていれば簡単。(1)自由権,(2)参政権,(3)社会権
問題4
基本的人権の歴史に関する次の記述のうち、妥当なのはどれか(地方上級、平成6年度)
- 18世紀には自由権の中でも精神の自由が最も重要なものとされていたが、19世紀に入ると経済の自由が精神の自由よりも高い位置に置かれ、その制限には精神の自由より厳しい条件が必要とされるようになった。
- 18世紀には基本的人権は民主国家形成の基盤である参政権中心であったが、19世紀には個人の人権に目が向けられ、自由権および平等権が重視された。
- 19世紀までは基本的人権規定は国家と国民の関係を規律するものであったが、20世紀になると私人間の人権侵害に関しても憲法を適用して保護を図ろうとする考えが登場した。
- 社会権的基本権の考えは19世紀に社会主義思想とともに発展し、第二次世界大戦前に社会主義国家で初めて憲法に登場したが、戦後は西欧民主主義国家でも重要な基本的人権の一つとなった。
- 19世紀以降、違憲立法審査権はドイツ等のヨーロッパ法治主義国家を中心に発展していったが、第二次世界大戦後には英米など多くの国で採用されるようになった。
答えは 3
- 誤り。文中の「精神の自由」と「経済の自由」とが逆。
- 誤り。「参政権」と「自由権および平等権」とが逆。
- 正しい。
- 誤り。社会権的基本権を最初に明確に定めた憲法は,1919年のワイマール憲法(ドイツ)である。
- 誤り。違憲審査権について第二次世界大戦前のヨーロッパ法治主義国家では,裁判所の違憲審査権は民主主義ないし権力分立主義に反するものとして考えられた結果,制度化されることはなかった。そして,第二次世界大戦後になって初めて,独裁制に対する反省から違憲審査制が設けられるようになった。ただ,米国では1803年以来連邦裁判所自らの判例によって違憲審査制が行使されてきた経緯がある。
プリントには書けなかったが,以下の問題にも挑戦しておきたい。来年は記述する予定。
次の人権保障に関する宣言や憲法などの説明として,妥当なものはどれか。
- バージニア権利章典 − 自然法に基づく天賦不可侵の権利を宣言した人権宣言の先駆である。
- ワイマール憲法 − 人権保障の国際的な標準を示し,人権の普及と拡大を促す。
- アメリカ独立宣言 − フランスの人権宣言をモデルとして,民主主義の基本原理をはじめて明確に規定した。
- マグナカルタ − 名誉革命を背景とした国王の恣意的課税の禁止,請願権,言論の自由などを規定している。
- 権利章典 − 人たるに値する生活のために,団結権を世界ではじめて規定した。
答えは,1。4の内容はイギリスの権利章典を示している。
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Last modified: 2013-10-29 12:06:30