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このページは1984年2月に小学校の課題で書いた「生いたちの記」の下書きです。元々の原稿をPDFファイルにしたものをこちらからダウンロードできます(ファイル名:oitachi-draft.pdf)
ぼくは昭和47年5月19日に田中産婦人科というところで生まれました。しかし,けっして安全に生まれたわけではありません。出産予定日を2週間以上過ぎ,これ以上大きくなると危険なので生まれる3日前に入院し点滴を受けてやっと生まれたのが僕です。体重3600グラムの大きな子です。仮死産だったので先生や看護師さん達のすばやい処置で助かったのです。
そんな状態で生まれたんだけれどすくすくと育ちミルクもよく飲み,よくねむり,両親に心配かけるような病気もせず,一才の誕生日を迎えるころには歩き出しました。幼稚園に入る前までは近くに男の子がいなかったので,女の子と遊んだり,一人でよく遠くまで歩いてあちらこちらへと興味のある所へ出かけてお母さんによく心配をかけました。
幼稚園はあおい幼稚園で初めて団体生活を送ることになったため,すぐには友達づき合いも出来ませんでした。そのため一人でとぼとぼと歩いたり,自分一人で遊んでいました。また,友達とあまりつき合わなかったから,大きい子に目をつけられてたびたび泣かされてきました。が,そお生活の中でたいへん楽しかったのは掃じをすることで先生にたびたびほめられました。けれども友達は幼稚園を卒業するまでいませんでした。今思い出すと幼稚園の時,もっとたくさん友達を作っておけばよかったと後悔します。
やがて,幼稚園を卒業して,小学校に入学しました。1年生になった時,「学校ってどんなことをするのだろうか」と言う不安な気持ちでいっぱいでした。が友達といっしょに勉強したり遊んだりしてしているうちに,学校へ行くのが楽しくてしょうがありませんでした。ただし,体育の時は別です。二年生は一年生の時と比べて態度が悪くなったりして人格がコロッと変わりました。友達とのつき合いがうすれたり,忘れ物をしたり,しかしそれは自分が少し大きくなったきざしでもあるかなと思います。三年生の時,初めてのクラスがえで胸がわくわくしました。中学年だからそれなりに頑張って行こうと言う目標を心に立てて,三年生になりました。が悪い事ばかりおこるので,まるで心の成長が止まったようです。四年生,思い出袋やその他楽しい事ばかり続いて,勉強などほったらかしにして,三年生同様でした。しかし,今思い出すとこの学年にまたもどりたいと思う。多分,この学生こそ自分にとって一番だと言う気持ちが大きかったからだろう。五年生,小学校生活で一番,頭心が動く時期でした。作文の勧め,自由学習,勉強の推進,発表など…始めの方はこの方針においつけない毎日でしたが,両親のはげましで現在この方針になれています。六年生,学問のあり方が少しずつ分かってくるような気がしました。それなりに高学年の自覚が出てきたようです。
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Last modified: 2014-05-19 11:41:12