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生いたちの記

作成日:1984年2月22日

小学校6年生,卒業1ヶ月前に書いた(書かされた)ものです。元々の原稿をPDFファイルにしたものをこちらからダウンロードできます(ファイル名:oitachi.pdf)。

なお、この原稿の下書きをこちらから読むことができます。ただし、このページの内容とあまり変わりありません。

全文

ぼくは昭和47年5月19日に田中産婦人科というところで生まれました。しかし,決して安全に生まれた訳ではありません。母は,出産予定日を2週間以上過ぎ,これ以上大きくなると危険なので生まれる3日前に入院し点滴を受けてやっと生まれたのが僕です。径死産(石田注:「仮死産」の間違い)だったので先生や看護師さん達のすばやい処置で助かったのです。

そんな状態で生まれたんだけれど,スクスクと育ちミルクもよく飲み,1才の誕生日を迎えるころには歩き出しました。幼稚園に入る前までは近くに男の子がいなかったので,女の子と遊んだり,一人でよく遠くまで歩いてあちらこちらへと興味のある所へ出かけてお母さんによく心配をかけました。しかし,よくねむり,病気もしなかったのでその点では心配はかけませんでした。

幼稚園はあおい幼稚園で初めて団体生活を送ることになったため,すぐには友達づき合いも出来ませんでした。そのため一人でとぼとぼと歩いたり,自分一人で遊んでいました。また,友達とあまりつき合わなかったせいか,大きい子に目をつけられてたびたび泣かされてきました。がその生活の中でそうじをすることは大好きでたびたび先生にほめられていました。けれども結極(石田注:「結局」の間違い),卒業するまで友だちをつくることができませんでした。今思い出すと幼稚園の時,もっとたくさん友達を作っておけばよかったと後梅(石田注:「後悔」の間違い)します。

やがて,幼稚園を卒業して,小学校に入学しました。1年生になった時,「学校ってどんなことをするのだろうか」と言う不安な気持ちでいっぱいでした。が友達といっしょに勉強したり遊んだりしてしているうちに,その気持がふっとび,学校へ行くのが楽しくて楽しくてしょうがありました(石田注:「ありませんでした」の誤り)。ただし,体育の時は別です。二年生は一年生の時と比べて性格がコロッと変わったようです。友達とのつき合わなくなったり,本を読み始めたり,自分では少し大きくなったからかなと思っています。三年生の時,初めてのクラスがえで胸がわくわくしました。もう三年生だからそれなりに頑張ろうとう(石田注:「という」の誤り)気持ちで一年間乗りこむつもりだったけれども悪い事ばかり続きました。ぼくにとって三年生と言う学年は心の成育が止まったように感じられました。四年生,思い出がたくさんあった時期でもありました。しかし、勉強などは,三年生同様でした。しかし,思い出がたくさんあるだけに四年生にもどりたいもどりたいと思うことがたびたびあります。五年生,クラスがえのおかけで頭、身心が大きく変動しました。作文や発表・学習の進めなど今まで心の中にあったいやみな心がすべてふっとんでしまったようです。しかし始めの方はこの方針になれずこのやり方がいやでしょうがありませんでした。が両親のはげましで「くじけては何事もだめだ」と思い中ごろまでこの方針に絶えて(石田注:「耐えて」の誤り)きました。このしごきは中学校に入った時後悔しなくてすむだろう。六年生になると,もう後悔するようなことはやめようと心に決めました。現在多少忘れていないけれど、テストや勉強をしっかりして立派な人間として生きたいです。

これからの人生は一生かけがえの無いものにして,自分がいなければだめだという心がまえをしていきたい。

担任の先生のコメント

明るい気持を持ち,それを前向きに押し出さないといけないよ。

補足

今のところは特にありません。


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Last modified: 2014-05-19 11:41:12